くらげ travel

ちょっと気が向いたので、旅行記を。

ヅカオタな自分とどう向き合えばいいのかわからない

近況(?)である。まとまりはないし、支離滅裂だと思うが、それでも吐き出したい気持ちがある。

最近、ヅカ観劇との向き合い方がわからない。観劇への気力も、体力も、失ってしまった。

きっかけは良く覚えている。4/3のステラボイスの観劇が終わったあと、「もしかしたら人生でもう2度と宝塚を観ないかもしれない」と本気で思った。ジェンヌさんのせいではない。完全に自分の感情のもちようのせいだ。

観劇の直前に祖父が亡くなったことも影響しているのかもしれない。身内の不幸と観劇は運良く?バッティングしなかったので、這ってでも行きたかったステラボイスを見に行った。それがいけなかったのかもしれない。

あれほど見たかった天華さんの主演舞台を見たのに、しかも激戦のバウホールのチケットを友の会で自力に取ったのに、虚しいほど寂しかった。心が虚空を見つめていた。わかりやすく言えば全く感動しなかった。

繰り返すがジェンヌさんのせいではない。今でもあの天華さんの素晴らしさはいくらでも語れると思う。だけどそれは今の私の心では虚飾の言葉になるからいつか言えるときが来たら話したいと思う。

あれだけ見たかった舞台を見たのに、受け取りたいものを受け取りたいように受け取れなかったのだから、もう私には宝塚を見る資格がないようにさえ思える。

夢白ちゃんが初舞台を踏んだ年にヅカオタになった自覚があるので、劇団の観客になって「研7」。今までは学校やバイトや仕事以外のすべてが宝塚とともにあった。観劇するためのお洋服。観劇するためのメイク。観劇そのものが純粋に楽しみだった。そして、観劇に付随するあれこれも楽しかった。コロナの前から見てたので、入り出のギャラリーもしたし、ファンクラブの会員じゃないのにファンクラブからお誘いが来てお茶会にも数回行った。自画自賛だけど心から楽しんでいたと思う。

でも、悲しいかな、ジェンヌさんのおっしゃるような明日の活力が得られたと実感しかことは少ない。どちらかというとあまりに美しく、儚い輝きを放つジェンヌさんを見て、自分の惨めさにがっかりすることが多かった。それでも見続けたのは、単に私が美しいものを愛しているからに他ならない。美しさの拠り所が宝塚だった。どんなに自分の惨めさにがっかりしても、ジェンヌさんの、宝塚の美しさは変わらない。美しさを手に入れたくて、美しさを一時愛でたくて、劇場に通い続けた。

でもそれももう終わりなのだろうか。世界で一番大好きなジェンヌさんはたくさんの拍手に囲まれて退団された。初観劇から8年も劇場に通って、ほとんど全部の大劇場作品を見てるのに観劇後に感想を言い合えるような友人は…たいがい1人で観劇しているのでいないに等しいと言えるかもしれない。(それでも私に話しかけてくださったり、お茶してくださったり、お土産をくださったりする天華さんのファンの皆様には感謝しかないです。ありがとうございます。どうして皆さんはそんなに優しいのでしょうか。)美しさを摂取しすぎて、心の中で飽和状態になったみたいだとすら感じる。数週間前にあまりのやるせなさに、大量のグラフや本や雑誌や舞台写真を処分したほどだ。

もともとは毎月新作が、もしくは月替わりの舞台作品が、一定のクオリティで表現される常設の劇場で観劇したくて宝塚を見始めた。(一回見るとほとんど全部を覚えてしまうので、ロングランで同じ作品を見続けるのは向いていない。)だからどんな作品でも普通に楽しんだ。なので未だに″トンチキ″とか″脚本演出が悪い″とかいう感覚がわからない。そういうお話、そういう見せ方なのだから、その枠の中でいつも楽しんでいた。1人で楽しむ技術に長けていたのだと思う。

もうすぐ1789が始まる。再演が決まったときにはとても楽しみだったが、チケットが取れず仕舞いなので心は暗いままだ。チケットが発売されたときにはすでに虚無ターンに入っていたので、チケット確保に奔走する気力もなく、それも相まって気分はどん底

結局のところ、私は宝塚とどう向き合えばいいのかわからない。楽しみたいのか、そうでないのかさえわからない。ファンクラブに入って、宝塚という世界に居場所を作ればそれで満足するのだろうか。*1惨めにならない美しさを手に入れれば、気が楽になるのだろうか。

ジェンヌさんに敵わないと思う瞬間は、ジェンヌさん自身がみるみる変わっていく瞬間を目の当たりにするとき。かつてのイメージからガラッと変身していく様は、たとえそれが変わらない毎日のとてつもない努力の上に成り立っていると知っていても、羨ましいと思う。自分のなりたい姿に、時間をかけて変身していく様は、なんて羨ましいのだろう。人知れず悩んでいるとしても、なりたい姿が見つけられること、見つけたなりたい姿に努力して近づいていくことができるのも才能だと思う。

私は宝塚を通じて何者かになりたかったのだろうか。どうすれば、少なくともかつてのように、受け取りたいものを受け取りたいように受け取れる日が取り戻せるのだろうか。

ヅカオタな自分とどう向き合えばいいのかわからない。

 

*1:ちなみに私はファンクラブに入ったことはないです。お金で応援する、貢献するということを絶対にしたくなかったから。学生時代に見始めたので、資金面での覚悟ができなかったのもあります。社会人になってからは継続的な資金源を持てるようになりましたが、それでもやはりお金で応援することはしたくありませんでした。入らないことのデメリットもありましたが、世界で一番大好きな方のファンクラブに入らなかったことに後悔はないです。最初から最後まで、私が愛したいように愛させてくださいました。